ノリクラ 雪渓カレンダー

Vol.16(2016/08/26〜27 B) 

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(Update:2016/09/01)

 

【大雪渓で出会ったヒルクライマー】

大雪渓 − 日差しがなくなると寒い、夏はもう終わり

10時の大雪渓の気温は18℃、雲が流れるようになり、日差しがさえぎられると肌寒さを感じるようになります。ノリクラの夏はお盆を過ぎるともう終わり、日中でもよほど日差しが強くない限りは、暑さはなくなります。

 

下山は防寒着が必要 − レインウェアとの兼用がオススメ

ヒルクライマーも下りは防寒着着用が必要です。こちらの方のようにレインウエアが良いと思います。それは降雨時にも対応可能なためです。登山では合羽と防寒着を兼用することはよくあります。

そのほか、ご注意いただきたい点について【ヒルクライマーへのアドバイス・お願い2016年版】(レインウェアの持参、熱中症と水分補給可能場所、走行上の注意点)でまとめていますのでご覧下さい。

 

ザックに背負った荷物が重い − 腰が痛い!

そのまま登山で縦走できそうなほどの荷物のお二人。自転車で旅行するのは今回が初めて、自転車は中学の入学祝でもらったもの。「腰が痛い!!」と、ちょっと辛そうでしたが、やはり、自転車での旅行の場合は、荷物は車体に懸架できるようにした方がよさそうですね。

 

ピスト仕様 − ヒルクライムとは全く方向が違う自転車で

こちらの自転車はヒルクライムには全く向いていません...完全にピスト仕様。ただ、リアハブには両側にギアがあり、左側はピスト用の固定のギアで、チェーンが掛かっている右側はフリーギアになっているとのこと。公道走行ですから、前後のブレーキは実装されています。

ギア比はお聞きしませんでしたが、見るからにヒルクライム向きではないことがわかります。(よくここまで登って来られたものです。)

 

ヒルクライム&登山

北アルプスに登山に行ったのをきっかけに登山の魅力にはまってしまったというこちらのヒルクライマー。もちろん、今日はここから剣ヶ峰登山へ。畳平には何度も行ったことがあるけど剣ヶ峰は初めてとのことです。

ヒルクライム&登山という方は、結構いらっしゃり、実際、剣ヶ峰への登山道道中に、サイクルジャージ姿のヒルクライマーが登る様子をお見かけします。その際、クリート付のシューズでの登山は無理ですから、別途、スニーカーを持参する必要があります。

【県道乗鞍岳線、および、乗鞍スカイラインの給水・トイレの各施設】

県道乗鞍岳線、および、乗鞍スカイラインの給水・トイレの各施設はご覧のとおりです。(⇒【ヒルクライマーへのアドバイス・お願い2016年版】(レインウェアの持参、熱中症と水分補給可能場所、走行上の注意点)

 

長野県側県道乗鞍岳線(観光センター〜畳平)

場所(観光センターからの距離、標高)

バス停

飲料水

売店(スポーツドリンクなど)

コインロッカー

トイレ

観光センター(0km地点、標高1430m) ○ (自販機・売店) ○(営業時間内) ○ (公衆トイレ)
三本滝レストハウス(7km地点、標高1800m) ○ (営業時間内) ○ (自販機) × ○ (公衆トイレ)
位ヶ原山荘(15km地点、標高2350m) ○ (営業時間内) × ○ (仮設トイレ)
大雪渓(18km地点、標高2600m) △ (沢水) × × ○ (公衆トイレ)
終点畳平(20km地点、標高2702m) ○ (営業時間内) ○ (営業時間内) ○(営業時間内) ○ (公衆トイレ)

 

岐阜県側乗鞍スカイライン(ほおのき平〜畳平)

場所(ほおのき平からの距離、標高)

バス停

飲料水

売店(スポーツドリンクなど)

コインロッカー

トイレ

ほおのき平(0km地点、標高1230m)
平湯温泉バスターミナル()


○ (自販機・売店)
○ (自販機・売店)
×
○ (公衆トイレ)
○ (公衆トイレ)
平湯峠(6.3km地点、標高1684m) × × × × ×
夫婦松駐車場(9.3km地点、標高1950m) × × × × ○ (公衆トイレ)
終点畳平(20.7km地点、標高2702m) ○ (営業時間内) ○ (営業時間内) ○(営業時間内) ○ (公衆トイレ)

岐阜県側乗鞍スカイラインは、夫婦松駐車場を除き沿線上に休憩施設が全くありませんのでご注意ください。

 

【雪渓下部】

大雪渓入口 雪渓下部の積雪は7月最終週になくなる
=これだけ早いのは2000年以降初めてのこと=

それではここからは雪渓の様子をお伝えします。こちらは車道沿いの雪渓下部ですが雪はありません。今年は7月最終週(第5週)に雪解けが完了しました。2015年は9月第3週、2014年は9月第2週、、2013年10月第1週、2012年・2011年・2010年は9月第2週、2009年は9月第1週に雪解けが完了しました。2004年・2005年は2年連続して雪解けが早かったですが、それでも、8月第2週・8月第3週で、7月中に完了するのは2000年以降初めてのことです。

 

【長野県安全登山条例について】
大雪渓入口に新たな看板が設置 【画像拡大:7月より登山届が義務化されました】

大雪渓入口に設置された「肩の小屋口登山口」の看板は、7月からは登山届の提出が義務化されたことを案内する内容が記されています。登山届義務化の概要については、 お知らせ−7月1日より長野県側登山道は登山届が必要です(長野県安全登山条例、指定登山道)(2016/04/13)。をご覧ください。

長野県は、「長野県安全登山条例」を昨年12月17日に公布・施行し、登山計画書の提出を義務付ける「指定登山道」を4月11日に決定し、昨日7月1日から登山計画書の提出を義務化しました。

条例の中では、遭難の発生のおそれが高いと認められる167の山岳と、1の景勝地を「指定山岳」として定め、指定山岳の山頂及び景勝地に至る主な登山道の起点となる122の登山口を「指定登山口」として定めます。その中で指定登山口から指定山岳の山頂及び景勝地までの区間にある登山道を「指定登山道」として定めます。

ノリクラにおいては、指定登山岳「乗鞍岳(朝日岳、摩利支天岳)」、指定登山口に「鈴蘭橋登山口、肩の小屋登山口」が指定され、指定の登山道の一部でも利用する場合は、登山届の提出が必要です。また、大雪渓でのスキー・ボードは、肩の小屋口登山道を利用しているものと解釈され、登山届の提出が必要です。

【ご注意:実際の登山道入口は大雪渓入口から車道を北へ50m先にあります】

ご注意:実際の登山道入口は車道を北へ50m先にあります

実際の肩の小屋口登山口

おそらく、この看板は設置場所の問題からここに建てられたものと思われますが、肩の小屋口登山口は大雪渓入口とは異なり、この画像より車道を北へ50メートルのところにあります。

 

石碑の岩

こちらは石碑の岩。

 

石碑の岩のチングルマ

テントウムシの幼虫(クリサキテントウ)

いつもお伝えしているチングルマにはもう変化がありません。その近くにおそらくテントウムシの幼虫(クリサキテントウ)だと思われますが、平地では幼虫は5月頃のはずですから、かなり時期がずれています。昆虫は門外漢のため、もう少し調べてみたいと思います。

こんなに環境の厳しいところでも、昆虫は数多く存在しています。

 

ミヤマアキノキリンソウが咲き続ける

先ほどのテントウムシの幼虫の時期が平地よりも遅れている点を申し上げましたが、雪解けの遅い大雪渓では、8月下旬でもまだ高山植物の季節が続いています。

 

8月27日(土)、朝から雨 − 天候回復までしばらく待機

さて、二日目の8月27日(土)。この日は朝から雨で、大雪渓には濃霧がかかる状況。常連スキーヤーも天候が回復までしばらく待機。

 

ハイマツを行き交う小鳥

そんな中、ハイマツを行き交う小鳥を見つけます。(おそらく、カヤクグリだと思います。)

 

この赤い実は何だ? オオヒョウタンボク − 実が二つくっついてヒョウタンの形に

普段は大雪渓駐車場と雪渓とを往復するだけで、周辺の自然には触れる機会がなかなかありません。

 

大雪渓周辺を散策

せっかくですから、天候が回復するまで大雪渓周辺の様子をふれてみましょう。

 

石碑の岩 中日新聞の若鷹号墜落の慰霊の碑

いつもお伝えしている石碑の岩。大きな岩の頭にはご覧のレリーフが埋め込まれています。昭和31年3月23日。南極観測隊の訓練状況の取材に訪れた中日新聞の若鷹号が大雪渓に墜落し、乗員4名が死亡しました。その地にこのレリーフが設置されています。

なお、南極観測隊のノリクラでの訓練は現在も継続されています。

何だこの空き缶.. 飲み口が今の物とは違う 昭和40年代のもの

さて、朽ち果てたビールの缶。見慣れないデザインに興味津々。一体どれくらい前の物なんでしょう...飲み口が現在のプルタブ方式ではなく、プルリング方式で、1980年代まで使用されていましたが、実物はもっと古い物と思われます。現在の缶はワンピース構造になっていますが、こちらは上蓋・胴部分(缶本体)・底蓋のスリーピースになっていて、缶本体はスチール製で腐食が進んむものの、蓋部分のアルミは腐食されずに残っています。

この缶の当時の画像が、発売元のキリンのWebSiteにありましたので、URLを掲載いたします。(発売は1965年3月から)
●1965年プルトップ缶ビール発売|酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアム|キリン
   http://www.kirin.co.jp/entertainment/museum/history/column/bd087_1965.html

発売は1965年3月からとのことで、このデザインは70年代まで続いていましたので、少なくとも40年以上は経過していると考えられます。胴体は朽ちているもののアルミ部分はそのまま残り、自然に還元されないことがわかります。現在は環境保護への概念が広く浸透して、ごみのポイ捨てはほとんど見られませんが、特に高度成長時代には環境保護の概念が乏しく、このような朽ちたごみがたびたび見られます。県道乗鞍岳線が開通したのは昭和38年ですので、それ以降、夏スキーヤーが増え、その当時のごみが残されていると考えられます。

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